今回の企業訪問は、ロータリー歴42年の長谷川篤君で、現在、株式会社白亜(ハセガワ家具センター)会長、介護付き有料老人ホームツクイ・サンシャイン富士顧問を務めています。
長谷川家は、滋賀県にそのルーツがあり、近江源氏の一党、足利幕府の大名だったのですが、政争により現在の富士市本市場に移り、徳川時代には本陣、庄屋、問屋を営んでいたそうです。明治になり公務を失職したため、曽祖父が東京亀戸に家具業の修行に行き、吉原に戻って家具業を開いたそうです。その家族が、さらに分家して、沼津、三島、熱海、清水に長谷川家具を興しています。祖父、父上と家業を継ぎましたが、一旦、父上が出征したため、弟(叔父)さんがその間に家具業を続け、父上が復員後は、別に長谷川木材を創設し、製紙会社も始め、京都、市川大門、足利と工場を広げ隆盛だったのですが、そこに目を付けた大手商社に巧みに乗っ取られてしまったそうです。幸いにも吉原の長谷川家具、長谷川木材だけは残せたため、家具業は父上と叔父が続け、木材は弟で、ロータリー会員だった長谷川清さんが継いでいます。会社を乗っ取られた教訓から、父から法律家になれと指示された篤君は、その後、早稲田大学、その後大学院で法律学を学び、副手になっています。
しかし、その後、叔父が創設したハセガワボウルの経営が行き詰まり、多額の借金を長谷川家が連帯保証人のため、肩代わりすることになり、篤君も故郷に戻り、法律家としての栄達を断念し、家業のハセガワ家具再建に専念することになりました。学生時代から勉強熱心で、その傍ら、アルバイトもこなし、頂いていた複数の奨学金も無駄遣いせず貯金し、就職後も身を収め家を守ることに専念し、富士に戻るときには3000万円を持っていたそうです。当時の大学の給料は2万円だったそうです。
そのお金を流動資金として、ライバル家具店とは違う宣伝方法を考え、例えば、軽トラックに乗り拡声器で店名を連呼したり、軽飛行機でも上空から宣伝したそうです。祖母からは、『良いものを安く』と教えられ、商売の有名講師のセミナーで『①駐車場があること、②商品が豊富、③値段が安い』ならば、成功すると言われ、それに刺激され、『ドンドン負けます、ハセガワ家具』と宣伝したそうです。製品は、粗悪品の海外物は扱わず、日本の名品、カリモク、海外の名品、シモンズなどを扱いました。
しかし、その頃から、日本の生活様式の変化、特に住宅構造の変化から、家具業の未来を不安視していたそうです。そして積水ハイム東海、SBSマイホームセンターに参加している多数のハウスメーカーなどと交渉し、家具を置いてもらい、住宅購入時に、家具も検討してもらうという方法で、利益を上げていたそうです。しかし、さらに人々の考えが、一生ものの家具を購入するというよりは、数年使えれば良い代わりに、安いものをという方向になり、そこにニトリホームセンターなどが進出してきたため、これ以上の家具業の展開は望めず、吉原の家具店の跡地をいくつかのテナントビルにして貸し出し、青葉通り店は、介護付き有料老人ホームに転換するという不動産貸付業に転じたそうです。そしてまた、吉原本町通り店を多数のテナントビルとして貸し出しています。しかし、もともとの家具業の仕入れ、販売のノウハウがあるため、現在も、自宅事務所で無店舗型販売で、家具業も続けています。
いくつかのテナントの家具の入れ替えなど、まだまだ多くの仕事をこなしているそうです。
始めは青年会議所JCに入ったが、家業を1人でこなしていたので、なかなか出席が出来ないでいたところ、査問委員会にかけられてしまった。『商売とJCとどっちが大事か』と言われ、即座に『商売』と言い、辞めてしまった。その時に、ロータリーメンバーの久保田実さんから誘われ、35歳で入会した。当時は、吉原の名門の人ばかりで製紙業が多く、サービス業は少なかった。吉原ロータリー創設者の一人の小林松太郎さんにも可愛がられ、ロータリーは自分の性分に合い、40歳で親睦委員長、その後は幹事を引き受け、57歳で会長、63歳で第3区ガバナー補佐をやった。
会長の時には、幹事が牧田一郎君で、吉原ロータリー40周年の事業を担当し、裏千家千宗室家元を呼ぶことが出来た。この時は当時の県知事斎藤滋与史氏、農協組合長山田勇次郎氏、富士市の淡交会の多くの師匠たちに応援してもらい、さらには斎藤斗志二衆議院議員、市会議員、県議会議員など、沢山の人に参加してもらえた。自分の全盛期だと思えて楽しい思い出だ。
2003年のガバナー補佐の時は、ガバナーと地区の84か所のクラブの中で、第3分区の9クラブ、それに静岡のクラブの数十か所を訪問し、これも大変だったが、良い思い出だ。役職で大変だったのは会報委員長。卓話で原稿がもらえず、筆記して書き起こした。それを加茂喜三さんに添削された。幹事も大変だった。事務職員がいなかった時代で、英文の手紙の翻訳もした、出席報告も、例会の司会も幹事だったが、その役目はその後、出席委員会、会場監督に移した。
ロータリーに入って個人的に良かったのは、家具業の売り上げが伸びたこと。一般の人はソファーを買うにしても十万単位、しかし、ロータリーメンバーは数百万単位の物を購入してくれた。また会社の家具や備品も購入してくれ大いに助けてもらった。異業種で仲良くさせてもらえた。
やはり健康が第一。自分は喘息もあったので、以前から禁煙例会を提唱していた。今は禁煙例会になりみんなにとって良いことだ。これからも旅行、観月会、クリスマス会など、できるだけいろいろな行事に参加したい。付き合ってみればわかるが、メンバーはみんな良い人ばかりだ。
会員増強は大事だ。なぜならばロータリー活動、奉仕活動の良さを人に説いて入会させる良い行動であり、多くのメンバーがいなければ活動に支障もきたす。僕も多くの人を入会させたが、佐藤博俊君も沢山の人を入会させている。
インタビュアー(高井計弘)より
今回、大先輩の長谷川篤君から、色々な話を聞きましたが、紙面の都合で、大幅に割愛しなければいけませんでした。申し訳なく思います。それに個人的な事情も、メンバーの参考になればと、色々教えてくれました。
若手の皆さん、怖がらずに、遠慮せず、先輩から色々聞きましょう。いろんなことを教えてくれます。
写真は、ご夫婦、元ハセガワボウル及び家具の敷地に建つ介護付き有料老人ホームツクイ、それに吉原本町のハセガワ家具の跡地のテナントビル、それに自宅周囲の写真です。
株式会社 白亜
富士市吉原3ー7ー17
TEL 0545−52−2125
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